深川浅景
   全一章・(その13)
    泉鏡花作

 大川《おほかは》此方《こなた》の町《まち》の、場所《ばしよ》により、築地《つきぢ》、日本橋《にほんばし》の方《はう》からも永代《えいたい》を渡《わた》るが、兩國橋《りやうごくばし》、もう新大橋《しんおほはし》となると、富岡《とみをか》門前《もんぜん》の大通《おほどほ》りによらず、裏道《うらみち》、横町《よこちやう》を拾《ひろ》つて、入堀《いりぼり》の河岸《かし》を縫《ぬ》ふ。 ‥‥‥ 晝《ひる》も靜《しづ》かだ。夜《よる》の寂《さび》しさ。汀《なぎさ》の蘆《あし》は夏《なつ》も冷《つめた》い。葉《は》うらに透《とほ》る月影《つきかげ》の銀色《ぎんしよく》は、やがて、その蘆《あし》の細莖《ほそぐき》の霜《しも》となり、根《ね》は白骨《はくこつ》と成《な》つて折《を》れる。 ‥‥‥ 結《むす》んで角《つの》組《ぐ》める髷《まげ》は、解《と》けて洗髪《あらひがみ》となり、亂《みだ》れて抜《ぬ》け毛《げ》となり、既《すで》にして穂《ほ》とともに塵《ちり》に消《き》えるのである。

 それが枯《か》れ立《た》ち、倒《たふ》れ伏《ふ》す、河岸《かし》、入江《いりえ》に、わけて寒月《かんげつ》の光《ひか》り冴《さ》えて、剃刀《かみそり》の刀《は》の如《ごと》くこぼるる時《とき》、大空《おほぞら》は遙《はるか》に蘆葦《ろゐ》雜草《ざつさう》の八萬坪《はちまんつぼ》を透通《すきとほ》つて、洲崎《すさき》の海《うみ》、永代浦《えいたいうら》から、蒼波《さうは》品川《しながは》に連《つらな》つて、皎々《かう/\》として凍《かほ》る時《とき》よ。霜《しも》に鳴《な》く蟲《むし》の黒《くろ》い影《かげ》が、世《よ》を怨《うら》む女《をんな》の瞳《ひとみ》の如《ごと》く、蘆《あし》の折葉《をれは》の節々《ふし/\》は、卒堵婆《そつとば》に、浮《うか》ばない戒名《かいみやう》を刺青《いれずみ》したか、と明《あか》るく映《うつ》る。 ‥‥‥ そのおもひ、骨髄《こつずゐ》に徹《とほ》つて、齒《は》の根《ね》震《ふる》ひ、肉戰《にくをのゝ》いて、醉覺《よひざめ》の頬《ほゝ》を悚然《ぞつ》と氷《こほり》で割《わ》らるゝが如《ごと》く感《かん》じた ‥‥‥ と言《ゝ》ふのである。
 御勝手《ごかつて》になさい。

 此《こ》の案内《あんない》には弱《よわ》つた。 ーー  (第一《だいいち》、こゝを記《しる》す時《とき》、七月二十二日《しちぐわつにじふににち》の暑《あつ》さと言《い》つたら。夜《よる》へかけて九十六度《くじふろくど》、四十年來《しじふねんらい》のレコードだといふ氣象臺《きしやうだい》の發表《はつぺう》であるから、借家《しやくや》は百度《ひやくど》を起《こ》えたらしい。)

 早《はや》く汐見橋《しほみばし》へ驅《か》け上《あが》らう。
 來《く》るわ、來《く》るわ。
 船《ふね》。
 筏《いかだ》。

 見渡《みわた》す、平久橋《へいきうばし》。時雨橋《しぐればし》。二筋《ふたすぢ》、三筋《みすじ》、流《なが》れを合《あは》せて、濤々《たう/\》たる水面《すゐめん》を、幾艘《いくそう》、幾流《いくながし》、左右《さいう》から寄《よ》せ合《あ》うて、五十傳馬船《ごじふでんま》、百傳馬船《ひやくでんま》、達磨《だるま》、高瀬《たかせ》、埃船《ごみぶね》、泥船《どろぶね》、釣船《つりぶね》も遠《とほ》く浮《う》く。就中《なかんづく》、筏《いかだ》は馳《はし》る。水《みづ》は瀬《せ》を造《つく》つて、水脚《みづあし》を千筋《ちすぢ》の綱《つな》に、さら/\と音《おと》するばかり、装入《もりい》るゝ如《ごと》く川筋《かはすぢ》を上《のぼ》るのである。さし上《のぼ》る汐《しほ》は潔《いさぎよ》い。

 風《かぜ》はひよう/\と袂《たもと》を吹《ふ》いた。

 私《わたし》は學着《がくしや》でないから、此《こ》の汐《しほ》は、堀割《ほりわり》を、上《かみ》へ、凡《およ》そ、どのあたりまで浄化《じやうくわ》するかを知《し》らない。
 けれども、驚破《すは》洪水《こうずゐ》と言《い》へば、深川中《ふかがはぢう》、波立《なみた》つ湖《みづうみ》となること、傳《つた》へて一再《いつさい》に留《とゞ》まらない。高低《かうてい》と汐《しほ》の勢《いきほ》ひで、あの油堀《あぶらぼり》、仙臺堀《せんだいぼり》、小名木川《をなぎがは》、 ーー 且《かつ》辿《たど》り、且《かつ》見《み》た堀《ほり》は、皆《みな》滿々《まん/\》と鮮《あたら》しい水《みづ》を流《なが》すであらう。冬木《ふゆき》の池《いけ》も湛《たゝ》へよう。

 誘《さそ》はれて、常夏《とこなつ》も、夕月《ゆふづき》の雫《しづく》に濡《ぬ》れるであらう。

 「成程《なるほど》、汐見橋《しほみばし》は汐見橋《しほみばし》ですな。」
 同伴《つれ》が更《あらた》めて感心《かんしん》した。廓《くるわ》へばかり氣《き》を取《と》られて、あげさげ汐《しほ》のさしひきを、今《いま》はじめて知《し》つたのかと思《おも》ふと、また然《さ》うでない。

 大欄干《だいらんかん》 (此《こゝ》にも大《だい》がつく) から、電車《でんしや》の透《す》き間《ま》に、北《きた》し、東《ひがし》して、涼《すゞ》しくはあるし、汐《しほ》の流《なが》れを眺《なが》めるうちに ‥‥‥ 一人《ひとり》來《き》た、二人《ふたり》來《き》た、 見《み》ぬ間《ま》に三人《さんにん》、  ‥‥‥ 追羽子《おひばね》の唄《うた》に似《に》て、氣《き》の輕《かる》さうな女《をんな》たち、銀杏返《いてふがへ》しのも、島田《しまだ》なのも、ずつと廂髯《ひさしがみ》なのも、何處《いづこ》からともなく出《で》て來《き》て、おなじやうに欄干《らんかん》立《た》つて、しばらく川面《かはづら》を見《み》おろしては、ふいと行《ゆ》く。 ーー 内證《ないしよ》でお知《し》らせ申《まを》さうが、海《うみ》から颯々《さつ/\》と吹通《ふきとほ》すので、朱鷺《とき》、淺葱《あさぎ》、紅《くれなゐ》を、斜《なゝめ》に絞《しぼ》つて、半身《はんしん》を飜《ひるがへ》すこと、特《とく》に風《かぜ》のために描《ゑが》いた女《をんな》の蹴出《けだし》の繪《ゑ》のやうであつた。

が、いづれも、涼《すゞ》むために立《た》ち停《どま》るのではない。凡《およ》そ汐時《しほどき》を見計《みはから》つて、橋《はし》に近《ちか》づく船乘《ふなのり》、筏師《いかだし》に、目許《めもと》であひづを通《かよ》はせる。成程《なるほど》、汐見橋《しほみばし》の所以《ゆゑん》だ、と案内者《あんないしや》が言《い》ふのである。眞偽《しんぎ》は保證《ほしよう》する限《かぎ》りでない。

 たゞ、淙々《そう/\》として大汐《おほしほ》の上《のぼ》る景色《けしき》は、私《わたし》 ‥‥‥ 一個人《いつこじん》としては、船頭《せんどう》の、下《した》から蹴出《けだし》を仰《あふ》ぐ如《ごと》き比《ひ》ではなかつた。





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