全一章・(その6) 泉鏡花作 |
見てすぎつ。いまの墓地の樣子で考へると、) ぬれ佛の彌陀、地藏菩薩が、大きな笠に胡粉で同行二人とかいて、足のない蟹の如く、おびたゞしい石塔をいざなひつゝ、あの靈巌寺の、三途離苦生安養 ーー 一切衆生成正覺 ーー 大釣鐘を、灯さぬ提灯の道しるべに、そことも分かず、さまよはせ給ふのであらうも存ぜぬ。 「やあ、極樂。おいらんは成佛しました。」 だしぬけに。 ‥‥‥ 「納屋に立掛けた、四分板をご覽下さい、極 ‥‥‥ 」 といひ掛けて、 「何だ、極選か ーー 松割だ。 ‥‥‥ 變な事を考へてゐたものですからうつかり見違へました。先達またへこみ。 ‥‥‥ 」 次々に ーー 特選、精選、改良、別改、また稀 ‥‥‥ がある。 「こんな婦なら、きみはさぞ喜ぶだらう。」 さもあらばあれ、極樂の蓮の香よりたのもしい、松檜の香のぷんとする河岸の木小屋に氣丈夫に成つた、と思ふと、つい目の前の、軒先に、眞つかな旗がさつとなびく。 私はぎよつとした。 「はゝゝ、欅の大叉を見せて、船の梶に成る事、檜が大割を見せて、蒲鉾屋のまな板はこれで出來ますなど、御傳授を申しても一向感心をなさらなかつたが、如何です、この旗に對して説明がなかつた日には、海邊橋まで逃げ出すでせう。」 案内者は大得意で、 「さ、さ、私について、構はず、ずつとお進み下さい。赤い旗には、白抜きで荷役中としてあります ーー 何と御見物、河岸から材木の上下ろしをする長ものを運ぶんですから往來のものに注意をします。 ーー 出ました、それ、彼處へ、それ、向うへ ーー 」 うしろへも。 ‥‥‥ 五流六流、ひら/\と飜ると、河岸に、ひし/\とつけた船から、印袢纏の威勢の好いのが、割板丸角なんぞ引かついで、づし/\段々を渡つて通る。 ‥‥‥ 時間だと見え、揃つて揚荷で、それが歩板を踏み越すにつれ、おもみを刎ね返して ーー 川筋を横にずつと見通しの船ばたは、汐の寄るが如く、ゆら/\と皆ゆれた。 ‥‥‥ 深川の水は、はじめて動いた。 ‥‥‥ 人が波を立てたやうに。 ーー 「は、成程、は。」 案内者は惜し氣もなく頭のはげを見せて、交番でおじぎをしてゐる。叱られたのではない。ーー 一橋を向うへ渡らずに、冬木の道を聞いたのであつた。 「おなじやうでも、冬木だから尋ねようございますよ。これが、洲崎の辨天樣だとちよつと聞き惡い ‥‥‥ てつた勘定で。 ‥‥‥ お職掌がら、至極眞面目ですからな。」 振返ると、交番の前から、肩を張つて、まつ直ぐに指さしをして下すつた。細い曲り角に迷つたのである。橋から後戻りをした私たちは、それから二度まで道を聞いた。 この横を ーー まつすぐにと、教はつて入つた徑は、露地とも、廂合ともつかず、横縦畝り込みになつて、二人並んでは幅つたい。しかも捜り足をするほど、草が伸びて、小さな夏野の趣がある。 ーー 棄り放しの空地かと思へば、竹の木戸があつたり、江一格子が見えたり、半開きの明窓が葉末をのぞいて、小さな姿見に荵が映る。 ーー 彼處に朝顔の簪さした結綿の緋鹿子が、などと贅澤をいつては不可ない。居れば、誰が通さう? ‥‥‥ 妙に、一つ家の構へうちを抜き足で行く氣がした。しをらしいのは、あちこちに、月見草のはら/\と、露が風を待つ姿であつた。 こゝを通抜けつゝ見た一軒の低い屋根は、一叢高く茂つた月見草に蔽はれたが、やゝ遠ざかつて振返ると、その一叢の葉の雲で、薄黄色な圓い月を抱くやうに見えた。 靄が、ぼつとして、折から何となく雲低く、徑も一段窪んで ーー 四五十坪、ーー はじめて見た ーー 蘆が青々と亂れて生えて、徑はその端を縫つてゐる。雨のなごりか、棄て水か、蘆の根はびしよ/\と濡れて動いて、野荊の花が白く亂れたやうである。 |