深川浅景 全一章・(その5) 泉鏡花作 |
「 ‥‥‥ 又地獄の繪といふと、意固地に女が裸體ですから、氣に成りましたよ、ははは。 ‥‥‥ 電車通りへ突つ立つて、こんなお話をしたんぢあ、あはれも、不氣味も通り越して、お不動樣の縁日にカンカンカンカン ーー と小屋掛で鉦をたゝくのも同然ですがね。」
お參りをするやうに、私がいふと、
「何だか陰氣に成りました。こんな時、むかし一つ夜具を被つた女の墓へ行くと、かぜを引きさうに思ひますから。」
ぞつとする、といふのである。なぜか、私も濕つぽく歩行き出した。
「その癖をかしいぢやありませんか。名所圖繪なぞ見ます度に、妙にあの寺が氣に成りますから、知つてゐますが、寶物に (文福茶釜) ーー 一名 (泣き茶釜) ありは何うです。」
といつて、涙だか汗だか、帽子を取つて顔をふいた。頭の皿がはげてゐる。 ‥‥‥ 思はず私が顔を見ると、同伴も苦笑ひをしたのである。
「あ、あぶない。」
笑事ではない。 ーー 工事中土瓦のもり上つた海邊橋を、小山の如く乘り來る電車は、なだれを急に、胴腹を欄干に、殆ど横倒しに傾いて、橋詰の右に立つた私たちの横面をはね飛ばしさうに、ぐわんと行く時、運轉臺上の人の體も傾く澪の如く黒く曲つた。
二人は同時に、川岸へドンと怪し飛んだ。曲角に (危険につき注意) と札が建つてゐる。
「こつちが間抜けなんです。 ーー 番どとこれぢや案内者申し譯がありません。」
片側のまばら垣、一重に、ごしや/\と立亂れ、或は缺け、或は傾き、或は崩れた石塔の、横鬢と思ふ處へ、胡粉で白く、さま/\な符號がつけてある。卵塔場の移轉の準備らしい。 ‥‥‥ 同伴のなじみの墓も、參つて見れば、雜とこの體であらうと思ふと、生々と白い三角を額につけて、鼠色の雲の影に、もうろうと立つてゐさうでならぬ。
ーー 時間の都合で、今日はこちらへは御不沙汰らしい。が、この川を向うへ渡つて、大な材木堀を一つ越せば、淨心寺 ーー 靈巌寺の巨刹名山がある。いまは東に岩崎公園の森のほかに、樹の影もないが、西は兩寺の下寺つゞきに、凡そ墓ばかりの野である。その夥多しい石塔を、一つ一つうなづく石の如く從へて、のほり、のほりと、巨佛、濡佛が錫杖に肩をもたせ、蓮の笠にうつ向き、圓光に仰いで、尾花の中に、鷄頭の上に、はた袈裟に蔦かづらを掛けて、鉢に月影の粥を受け、掌に霧を結んで、寂然として起ち、また跌坐なされた。
櫻、山吹、寺内の蓮の華の頃も知らない。そこで蛙を聞き、時鳥を待つ度胸もない。暗夜は可恐く、月夜は物すごい。 ‥‥‥ 知つてゐるのは、秋また冬のはじめだが、二度三度、私の通つた數よりも、さつとむら雨の數多く、雲は人よりも繁く往來した。尾花は斜に戰ぎ、木の葉はかさなつて落ちた。その尾花、嫁菜、水引草、雁來紅をそのまゝ、一結びして、處々にその木の葉を屋根に葺いた店小屋に、翁も、媼も、ふと見れば若い娘も、あちこちに線香を賣つてゐた。狐の豆府屋、狸の酒屋、獺の鰯賣も、薄日にその中を通つたのである。
‥‥‥ 思へばそれも可懷しい ‥‥‥
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